2016年9月22日木曜日

施術家 三浦 博 プロフィール




「ここに出会えて良かったです」
そう言う患者さんの笑顔を見るたび、
ほっこり暖かい気持になります。

私もFMT整体の元患者でした。

ここには大切なものがある
そう感じこの道を選びました。


こんにちは。FMT整体の三浦博です。
昭和47年に福島県の片田舎に生まれました。

整体師になる前は、
裁判の進行管理や書類を作ったり
相談をしたりする
裁判所書記官という仕事をしていました。


家族は、母と妻と中学生の長男、長女、
小学生の二男がいます。

休日は、家族と海や山や公園に出かけたり、
新築した家で、
畑から採れた野菜を使って料理したりと、
楽しく暮らしていました。


でも、東日本大震災原発が爆発してからは、
そんな毎日は無くなりました。

家の中にいても放射能のせいで落ち着きません。

子供たちの体にどんな影響があるか
分からなかったからです。


私は子供たちを助けてやれない自分に
イライラしていました。
「目には見えないもの」が怖かったです。

でもどうすることもできませんでした。
お酒をたくさん飲んで気持ちをごまかす毎日でした。


走っている間は悩みが消えるので、
ランニングにも熱中しました。

ある時、足の裏がすごく痛くなる
「足底筋膜炎」になりました

湿布やマッサージやストレッチをしても
余計悪くなる感じでした。


治す方法を調べていると、
FMT整体のホームページを見つけました。

そこには、湿布やマッサージはよくないこと、
正しい治療をすると治ることが書いてありました。

はじめは「本当かなあ?」と思いましたが、
素直な気持でよく読むと
「なるほど、確かにそうかもしれない」と思いました。


この整体をはじめた人は、
何百年も続くお寺のお坊さんだと分かりました。

私は、宗教は怪しい感じがして大嫌いでした。

でも、小さな頃、祖母とよく行っていたからか、
お寺は、信頼できました。


FMT整体が福島県にはなかったので、
自宅で自分で行う
「足底筋膜炎セルフケアDVDを買いました。

ケアした翌朝、寝起きの一歩目の痛みが減っていました


“これは本物に出ってしまった。運命の出会いかもしれない”

と、なぜかそう思い、家から近い横浜院に、
すぐ電話予約をしました。


横浜院では、明るく爽やかな先生が
笑顔で私を迎えてくれました。

不安もありましたが、
お話をしていくうちに

“素敵な先生だな。こんな風になれたらいいな”
と憧れていきました。


私は、昔から
一つのことを集中して追求する性格でした。

職人に憧れていました

中学の時は、
遺伝子工学の研究者か、
料理が好きだから料理人か、
肩を治してもらった整体師になるのが夢でした


ただ、大人になった私には
守るべき家族がいました。

だから夢でもあったのですが、
家族を放射能から守るため

整体師として自立し
安全な場所で暮らしたい
という思いの方が強かったと思います。


入学したFMT整体セラピスト養成学院は、
想像を超えた興味深い学びばかりでした。

退職後、愛知県の本院で実地研修をしました。
かなり自信はありましたが、
実際の現場では失敗ばかりでした。


頭では分かっているつもりなのですが、

長年の習慣や、これまで身につけてきた古い考え
から抜けきることができませんでした。

自分が正しいという思いが
学びの邪魔をしていたのだと思います。


「死ぬ気で頑張ろう」と決心しましたが、
すぐ元に戻りました。

「ここなら生き方が変わる」と思って飛び込んだのに、
凝り固まった考えと行動を変えるには、
体験の積み重ねと時間が必要でした。


自分のできなさ加減に
何度涙を流したか分かりません。

季節がいくつか過ぎました。
ゴールが見えないのは辛いです。

「このまま人生が終わるかも…」
そう感じた秋の風の薫りが忘れられません。


それでも今があるのは、
早朝から夜遅くまで

本気で接してくれた先生方、
関係者の皆さん、
一緒に学んだ仲間や、

家族の存在、
私を支えてくれた人々の思いが、
大きな大きな力になったからです。


思えば、以前の私は、
「豊かな暮らし」や「社会的地位」や
「好きなこと、楽しいこと」を求めて
人と競って手に入れてきました

幸せで充実した人生には、
それが必要だと思っていました。


実際は、家族や先生、仲間など、
心ある人たちに支えられ、
与えてもらっていた人生だったのに、

長年の生活の中で、
「自分の力で生きてる」という、
ごうまんさを育ててしまっていた気がします


もちろん、「得たい」という欲求で、
勉強やスポーツを頑張ったり、
仕事をしたり、お洒落したり、
成長できた面もあるでしょうが、

反面、目には見えない大切なものを失いかけた
とも思います。


生き方」みたいなものを考え始めたのは、
三十歳前後、自分の体力が衰え始め、
父の死、子供たちの出生が重なって、

人は死ぬのになぜ生まれるのだろう?

と疑問に思った頃でした。


そして、震災が起きました。

信じてきた生活を一瞬で奪われた気がしました。

食べ物は売ってないし、水道も出ません。
でも、少し驚くぐらい人が優しかったです。
分かち合っている感じでした。


今では、

家族の死も出生も、震災も、足の怪我も、
FMT整体との出会いも、整体の修行も挫折も、

例え辛いことでも、
自分の生き方の軸を作るために、
意味のある経験だったのだと確信しています。


これらの経験を通じ、いつでも、
どこでも、どんな状況でも、

大切にすべきもの、成長させるべきものは、
目には見えない「心」だと、
腹の底から感じることができるようになりました。


昔、祖母から絵本の昔話を聞いていた頃は、
大切なものが何かは分かっていたはずでした。


私がFMT整体に惹かれ続けていた理由は、
そんな想いをずっとここに感じていたからだと思います。


私は、私に関わる人が幸せでいられるよう、
真摯に施術していきます。

一人でも多くの方の役に立てるよう、
心と技を磨きます。

世界中の人が笑顔になるお手伝いをしたい。
それが私のゴールです。


今は痛みで辛いかもしれません
私も患者でしたからそれはよく分かります。

でも、私は、ここに通って、
フルマラソンの自己ベストを出せるほど回復しました。

だからあきらめないでください。


痛みには必ず原因があります。

その原因を取り除く正しい道を選べば、
体は治るようにできています。

道を選ぶのはあなた自身ですが、
今、あなたは暗闇の中にいるのかもしれません。



道が見えなければ目的地には着けません。
でも、おひさまが昇って明るくなったらどうでしょう?

次にゴールテープを切るのはあなたです。

私は、頑張る人を応援したいです
一生懸命、道を照らして、明らかにしていきます。

一緒に頑張りましょう!